鯉のぼりの歌は有名ですが、歌詞はすべて正しく歌えますか?1番から3番までご紹介します。
屋根より高い鯉のぼり~という歌は有名ですので、ご存知の方は多いかと思います。
毎年5月のこの季節が近づくにつれて、鯉のぼりの歌を歌いたくなったり、小さいお子さんがいると一緒に歌ったりするのではないでしょうか。
しかし、鯉のぼりの歌の歌詞って全部正しく覚えているでしょうか?
実は、鯉のぼりの歌は3番まで歌詞があるのですが、なかなか全部正しく歌えるという方はあまりいないのではないかと思います。
実際に、この記事を書くにあたって調べるまでは私自身も曖昧でしたし、子どもに聞かれても答えることは出来なかったです。
そこで今回は、鯉のぼりの歌の歌詞を1~3番までご紹介していこうと思います。
1番の歌詞
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
2番の歌詞
やねより たかい こいのぼり
おおきい ひごいは おかあさん
ちいさい まごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
上記の歌詞には、お母さんというフレーズが使われていますが、実は、このお母さんというフレーズが、登場しない2番の歌詞もあるようです。
お母さん無しのバージョンの方も歌詞を一応乗せておきますが、現代で歌われているのはどちらかというと、お母さんというフレーズがありの方だと思います。
みどりの 風に さそわれて
ひらひら はためく ふきながし
くるくる まわる かざぐるま
おもしろそうに およいでる
なんとなく、印象が変わってきますよね。
3番の歌詞
5がつの かぜに こいのぼり
めだまを ピカピカ ひからせて
おびれを くるくる おどらせて
あかるい そらを およいでる
鯉のぼりの歌は誰が作ったの?
鯉のぼりの歌詞を3番までご紹介してきましたが、そもそも鯉のぼりという曲の作詞作曲は誰だかご存知でしょうか。
作詞は近藤宮子さんという方で、この近藤さんは鯉のぼりの歌の他にも、チューリップやオウマと言った有名な童謡を作詞されています。
鯉のぼりという歌が世の中に初めてお披露目されたのは、1931年(昭和6年)に刊行された「エホンショウカ ハルノマキ」という本の中の1コーナーで紹介されただけだそうです。
しかし、当時お披露目されたときには、作詞・作曲者とも不明として、あえて名前を明かさなかったようです。
近藤さん自身の意向やそのご家族の関係性もあって、とにかく日本中に広く親しまれれば良いということで、作詞作曲者は不明のままでいこうという事になっていたそうです。
ですがその後月日が経って、著作権の関係で音楽協会が勝手に作詞者を変更して表に出そうとしたところ、近藤さん自身がそれはダメだということになったという事です。
最終的には、裁判にまで発展させて音楽協会の勝手を認めずに、自身の作ということを発表したそうです。
本当の作詞は近藤さんが私自身だと発表するまでは、曲として完成されてから約50年ほども経ってからとなっていました。
その間、かなり長い期間において作詞者不明のままでした。
もしも、近藤さんが名乗り出なければ、今でも作詞者は不明のままであり、別の違う人の名前が作詞者として世の中に広まってしまっていたかと思うと、本当の作詞者が名乗り出て裁判までして事実を勝ち取ったということは大きい。
ちなみに、作曲者の方ですが、こちらは今も変わらず不明とのことで、残念ながら作曲者については何も分かっていません。
別の鯉のぼりの歌があった!?
近藤さんが作詞をした『鯉のぼり』という曲が、今では誰もが知っている曲になっています。
『鯉のぼりの歌』と言ったら、誰もがこの歌を真っ先に思い浮かべます。
しかし、実は近藤さんが作詞する前の時代には、別の歌で鯉のぼりの歌というものが歌われていたそうです。
近藤さんの『鯉のぼり』は、昭和初期から現在にかけて歌い次がれていますが、大正時代には全く別の歌詞で「鯉のぼり」という歌が歌われていたようです。
大正時代に歌われていた鯉のぼりの歌は、文部省唱歌として歌われていたのですが、近藤さんの『鯉のぼり』が世の中に広まって、こちらの方が人気が出たことから、次第に歌われなくなってしまったので、今となっては幻の存在となっているのです。
歌は人々に歌われてこそ価値があるのですから、今の『鯉のぼり』が後世にも歌われ続けるといいなあと思ってしまいます。